怠惰のまさか度

どれだけ怠惰性を貫けるか、みたいなアレです。

岡田斗司夫ゼミと僕

先日、吉田豪氏と岡田斗司夫氏の語り口を比較するツイートをした。すると、吉田氏のエゴサーチに引っかかったのか、吉田氏から引用RTをいただいた。この一連のやり取り(?)の中で、僕はなぜ岡田斗司夫ゼミという番組を好きになったのか分からなくなった。僕なりに少し考えてみたのでここに綴る。

僕が岡田斗司夫ゼミを初めて観たのは、半年程前の事。シン・ゴジラについて氏が語っている動画だった。観ていくうちに、僕の意識の全ては番組に集中していった。動画を見終わった僕は、気がつくと他の動画を再生していた。魅せられていた。凄いものを見てしまったという感覚があった。もう後戻りはできなくなっていた。

ここまで読んだ貴方の目には僕が岡田斗司夫氏の信者であるかのように映っているだろう。だが、そんな事はない。僕はただ、あの番組が面白くて観ているだけであって、氏の意見を全て鵜呑みにしてしまう程ではない。理解に苦しむような発言もあったし、苛立ちや嫌悪に似た感情も抱いた。それでも尚、僕は岡田斗司夫ゼミが好きなのだ。それには、氏に対する憧れのような物が関わっているように思う。

少し僕の話をする。僕は現在高校一年生だ。志望校に進学し、夢の高校デビューを果たすはずだったのだが、現実にはそう上手くいかなかった。新しい環境に緊張し、周りとのコミュニケーションが取れず、十分な会話ができなくなってしまった。学校が強いストレス源になり、勉強も手につかない。新学校で勉強ができないというのは市民権を得られないに等しい事だ。ますます学校へ行けなくなり、会話も苦手になる。抑鬱の悪循環の中で僕はただ現実逃避に縋るしかなかった。

そんな中、心の支えになっていたのが岡田斗司夫ゼミである。ハイテンションのオッさんが満面の笑みを浮かべて早口で物を語る様は、僕に現実を見る暇を与えなかった。何をしていても学校へ行っていない罪悪感に潰されそうになっていた僕には希望の光だったし、抑鬱状態が続き、人との会話が成り立たない人間にとっては目指すべき理想像のように見えた。本当に光り輝いて見えた。それこそ釈迦やキリストのように。だから僕は、岡田斗司夫ゼミを貪るように視聴していたのだと思う。

さて今は。大分精神状態も安定し、学校へも行けるようになった。時間的な余裕が無くなったのもあるだろうが、番組を観なくなった。興味のあるトピックを語っている場合はそこだけ視聴している。こんな見方は今までしていなかった。最早、光り輝く岡田斗司夫氏に縋る必要性はなくなった。

思うに、僕にとって岡田斗司夫ゼミは良く言えば精神安定剤、多少の悪意を持って言うなら、合法知的ドラッグだったのだと思う。

それでも岡田斗司夫氏の考え方は参考になるし、もう少し時が経てば、ドラッグとして以外の見方もできるようになると思う。

また、評価経済社会の到来を予言した先見の明は脱帽を禁じ得ない。岡田斗司夫氏の更なる活躍と岡田斗司夫ゼミの飛躍を祈念してこの記事を閉じる。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

平成29年9月8日                 山中馬之助